あの事件から早数ヶ月。 他所から移り住んでくる人も増え、僕たちの村は少しずつ活気を取り戻していっていた。 朝、いつものように目覚めた僕は、あの事件からの習慣となった礼拝のために、村はずれの教会へ向かった。 ぎいぃと音をたてて開いた扉の向こうに、あの貧乏神を崇めていた神父さまの姿は無い。 そして、眠い眠いといいながらも、毎朝の礼拝だけは欠かすことの無かったゲルトさんの姿も。 「おはようございます」 呟いた言葉は誰の耳にも届かずに消えた。 帰り道に、川原でハーモニカを吹いているニコラスさんの後姿を見つけた。 けれど、いつも隣に仲良く寄り添っていたモーリッツさんはそこにはいない。 物悲しく流れるその澄んだ音にしばらく耳を傾けていると、不意にその音色が止んだ。 ニコラスさんがこちらを振り向くのを感じて、僕は慌てて踵を返した。 ひらひらと蝶が飛んでいくのを何気なく目で追いながら歩いていると、畑を耕していたのだろう、肩にかけたタオルで汗を拭くヤコブさんと目が合った。 軽く会釈すると、ヤコブさんは笑って手を振ってくれた。 そのヤコブさんの周囲を飛び回っているのは最近越してきた家族の子供たちだ。 いつも楽しそうに笑っていたリーザちゃんはもういない。そしてペーター君は、海を見にいくと一人村から旅立った。 「リーザがいつか見たいと言っていたから」…そう言って。 見慣れたパン屋の看板に、思わず足が止まる。 この傍を通ると、いつも焼きたてのパンの甘くて美味しそうな香りがして、それが僕は大好きだった。 一番好きだったのはアップルパイ。さくさくのパイ生地と程よい甘みのりんごジャム。 食べると何だかとっても幸せな気分になれるよね、と同じくオットーさんの作るパンのファンだったトーマスさんとよく二人で並んで食べていた。 だけど、二人とももういない。既にお店の中は片付けられ、今は大きな木箱で占領されていた。 隣村から新しくやってくる、とお父様から聞いたことを思い出す。 幾つもの箱はその荷物なのだろう。何だか見ていられなくて、僕は足早にそこを去った。 ふと笑い声を耳にして、僕は宿の扉を開いた。からん、と鈴が鳴る。 「あら、カタリナさん、いらっしゃい」 今ここの女将さんは一ヶ月ほど前にやってきた人だ。 物腰の柔らかい人で、その料理は文句なしに美味しい。…だけど。 『今日のメニューは熊の丸焼きさ!』 あの頃は、勘弁して…と本気で思っていたその料理も、今は頼んだって出てこない。 「何か食べる?」という女将さんの問いかけに、僕は曖昧に首を振って人で賑わう宿を後にした。 惜しみなく光を注いでいた太陽もいつの間にか傾きかけている。それに比例して吹いてくる風も少し肌寒くなってきた。 「…?」 丘へ続く道を歩いていたところで何か歌声が聞こえたような気がして、俯きがちだった顔をあげる。 カントリ〜ロード♪このみーちーずーっとゆーけばー… 道の向こうから、アルビンさんがネタ帖片手に歩いてくるのが見える。 「おやカタリナさん、こんにちは。どちらまで?」 僕が口を開きかけたとき、「あ、ちなみに返答は勿論ネタつきでね?」とアルビンさんは片目をつぶって見せた。 その相変わらずの様子に、思わず笑ってしまう。 「そうそう、笑顔は大切だよ。どんな時でも忘れちゃいけない」 思いがけない言葉に、目を見開いた。返事は?と促され、こくこくと頷くと、アルビンさんは満足したように笑った。 アルビンさんと別れてから少し歩き、丘の上に着いたとき。 ほっそりとした人影が見えて、先客がいたのかと僕は立ち止まった。 「あら、カタリナじゃない」 振り返ったその人は、パメラさんだった。手に持つ淡い水色のグラスに思わず目がいく。 「ん?これ?メチルアルコールじゃないわよ、ふつーのお酒」 先に言われてしまって苦笑いを返す。対のグラスは、ヨアヒムさんのお墓の前に置かれていた。 「『例のもの』の在り処を教えなさいよーって脅してたところよ」 『例のもの』――それが何なのか僕には見当もつかなかったけれど、ヨアヒムさんもよくその言葉を口にしていたのを思い出した。 「…ま、返事が返ってくるわけないんだけどね」 くいっと一気にグラスの中身を呷ると「カタリナも、早めに家に戻りなさいよ」そう言ってパメラさんは丘を下りていった。 ヨアヒムさんのものだけじゃない。緑葉の丘の上には、たくさんの花に囲まれたお墓が幾つも並んでいる。 その中の一つ、Dieterと刻まれた墓石の前に僕はしゃがみ込んだ。 「…ディーターさん」 ならず者と呼ばれていた、赤髪の彼の姿が頭の中を過ぎる。 ぶっきらぼうだけれど、誰より優しかった彼も…もういない。 新しい人も増えた。前よりずっと大きな村に発展した。 けれど、違う。 僕が、僕たちが本当に取り戻したかったのは…… 時間は巻き戻せない 今更ながらに痛感している自分が居た。 「リナ」 不意に肩を叩かれて、僕は慌てて後ろを振り返った。 目の前には、複雑な笑顔を浮かべたお父様がいた。 「帰ろう、リナ。…あまり、心配させないでくれ」 いつの間にか、辺りは真っ暗になっていて、ようやく自分が彼に心配かけてしまったことに気づく。 ――人狼の襲撃は夜だった。 忘れられない、忘れてはいけない記憶。 「…ごめんなさい」 思い出した途端に目頭が熱くなって、誤魔化すように目を伏せた。 ぽんぽん、と頭に数回手が置かれて、堪え切れなくなった涙が数粒地面に落ちる。 「…彼らのことだ。今頃、墓の下で宴会でも開いているだろうさ」 そんなことあるわけ無いって分かっていたけれど。 どんちゃん騒ぎをしている皆の様子が容易に想像できて、僕は涙を止められないまま頷いた。 い、色々とすみません; 特にイメージが違ったらどうしようかと…(びくびく …ネタに走るかシリアスで行くか迷った形跡が…;(凹 Photo
by NOION |